映画ドラえもん のび太の新恐竜を観たよ

2020年8月28日金曜日、『映画ドラえもん のび太の新恐竜』を映画館で観ました。

https://doraeiga.com/2020/

 

映画館でアルバイトをしていた折、新型コロナウイルスの影響を受け数々の映画の上映が延期され、お客様から多くのお問い合わせを頂きました。子連れのお客様から特に質問の多かった作品が、『のび太の新恐竜』。本来は子どもたちが春休みに入るタイミングの3月に公開される予定でしたが、新公開日は8月7日に定まりました。

映画を観ると決めたきっかけはジャイアンでした。

3月から私が最後に出勤した6月にかけて(恐らく現在も)、検温の機械が各映画館に設置されました。人もまばらのロビーにスタッフが交代で立たなければならず、ぼんやりとお客様を待つ間、上映予定作品の垂れ幕やポップを幾度となく眺めることがありました。そこに描かれているジャイアン。なんだかぽよぽよとおもちのように可愛らしく、香ばしくしょっぱげに焼けた肌の色で美味しそう。今作のジャイアンはとっても可愛いな。今回のドラえもん映画は是非とも観ようと心に決めていました。

 

最後に映画館で観たドラえもんは『のび太とふしぎ風使い』。今回劇場に赴くにあたって、予習として『新・のび太の日本誕生』と『のび太の宝島』を観ていきました。この2作を事前に観ていて良かったと心底思います。

なぜなら、『のび太の新恐竜』は迫力がレベち、だんち。

 

あらすじは公式ホームページで確認してください。

ついでにキャラクター紹介のページの声優さんの名前を眺めたら、更に興味を持って劇場に足を運んでくれる人もいるんじゃないかな。

 

以下に、すごいなと思った点を3つに分けて書いてみたいと思います。

ネタバレを含みます。

 

①”根源”に触れる子どもたち

人間は巨大なものや計り知れない物に出会ったり触れたりすると、恐怖を感じて身がすくんだり、身体に震えが走ったりする。これは根源的なものに対する畏怖であり、その畏怖もまた人間の根源にあるものだと思います。

子ども(未就学児~小学生)向けのアニメ映画であれば、作品自体のコミカルさに守られているために、ハラハラするシーンであってもある程度の安心感があります。主人公サイドがやっつけられることはあっても、死ぬことはない。上記の、既に視聴していた2つのドラえもん作品でも、ピンチになるシーンこそあれ、ある程度安心して観ていられました。

しかし、『のび太の新恐竜』には肌がひりつくほどの死の迫力が随所にある。

例えば、白亜紀に向かうつもりが、アクシデントでジュラ紀に辿り着いてしまうシーン。

肉食恐竜とのチェイスはコミカルさが差し挟まれる余地のないほど緊迫した描かれ方でした。彼らになぜ「恐ろしい竜」という漢字が充てられたのか、充分に理解できるような迫力の描写で、大人の自分ですら息をするのを忘れる場面でした。

クライマックスに隕石が地球を襲うシーンはとても怖かった。

隕石がのび太たちのいる日本(当時は大陸の一部)に直撃して、子どもたちごと木っ端微塵になるのであれば、まだ怖くはなかったと思います。実際に彼らが見たものは、隕石が堕ちた彼方の地から地球を覆わんと迫りくる塵。赤と黒に烟る空。崩壊する世界を目の当たりにするのび太たちが感じていたのは、行動の余地のある恐ろしさ。

合計3本のドラえもんを観て毎回「子どもたちをこんな目に合わせないで…」と悲しい気持ちになりますが、今作の彼らが立たされた窮地には、桁外れの恐怖があったと思います。

この「巨大な生物に殺される恐怖」「世界が崩れる恐怖」はかなり原始的な恐怖であり、根源に訴えかけるものではないかと思います。

また、恐怖とは異なる、魂を震わせる根源的な何かも各所に描かれていました。

私たち生物は海から始まりました。私は生物が帰結する場所も海であれば素敵だ思います。

巨大な翼竜に襲われかけたキューが石灰質の白い崖から飛び降り、後を追ったのび太諸共暗い海の底に沈んでしまうシーン。のび太はキューを案じる心こそあったにしろ、死への恐怖はなかったと思います。映画のOPで描かれていた生物の進化の過程と激動の系譜を観た後では、海へと還る、ただそれだけのこと。怖いことには思えませんでしたが、心が震える気持ちがしました。

タイトルに至るまでのOPもとっても格好良かった。お母さんといっしょのOPがこれだったらな。

 

②見守る大人たちは答えは差し出さない

子どもたちが立ち回る作品は、大人の都合に振り回されることが常ですが、今作は明確な敵がいないうえに、大人たちの立ち回りも子どもたちの道を拓く補助となるように徹底されているようでした。

小野大輔さん演じる恐竜博士は、のび太に恐竜の住処や餌に関して質問された際、翼竜であれば鳥と近い生態かもしれないから、鳥の生態から推測してみるのはどうか、といった指針を示しました。答えではなく思考法を与え、答えへの道筋を示しています。

今作にも登場したタイムパトロール。主要人物の一人であるジルは木村拓哉さんが声をあてていました。彼は徹底して子どもたちの動向を見守り、他の組織メンバーに手出しはさせませんでした。渡辺直美さんが声優をつとめるナタリー長官の心配ぶりとは対照的に、子どもたちのやりたいようにやらせる彼は、その思惑がどうであれのび太達を信頼していたのだと思います。

子守り役のドラえもんを大人側に加えたいな。今作はのび太の成長、進化が物語の軸にあるため、ドラえもん自身が課題解決をするシーンは少ないです。のび太たちのクライマックスでの最大のタスクは恐竜たちを避難させること。そこで横入りのように邪魔をしてくる巨大翼竜に対処するため、ドラえもんは離脱しなければならず、物語と歴史の運命はのび太一人に託されます。時代の決定点に対峙するのび太、その道筋にある障害物を取り除く役割をドラえもんが果たしたのです。

 

③ピー助

私はドラえもん1作目の『のび太の恐竜』は観ていませんが、漫画版と『のび太の恐竜2006』でピー助の存在を知っています。ピー助とは、今作より前の作品で、のび太が卵から孵して可愛がったフタバスズキリュウのことです。

恐竜を見つけてやると息巻くのび太の口からピー助の名前が零れることはついぞ無かったことから、今作ののび太とピー助は違う時間軸にいるために、この世界線で会うことはなかったのだと思います。

海底に沈みゆくのび太を助けた謎の恐竜の正体を知っている人は、あのシーンは鳥肌モノだったはずです。しかも、無意識下か夢の中か、眠るのび太が抱いているボールは『のび太の恐竜2006』のラスト、ピー助と別れたのび太がその晩卵の代わりに布団の中で抱きしめていたものです。

のび太は海の底、始まりと終わりの場所で、ピー助の思い出と邂逅を果たしました。地球と生物の進化を長い時間をかけて見守ってきた海は、時間の概念すら内包しているのかもしれません。

また、ラストシーンで、タイムパトロールの艦艇に乗ったのび太たちが白亜紀を去るシーンでは、ピー助と思われるオレンジ色の首長竜が一瞬映り、水の底に潜っていきます。のび太に会うために姿を現したピー助が、役目を終え、無言のまま、再び時間の水流に戻っていくのだとしたらこれほど切なくロマンティックなことはないと思います。

 

 

上記3つの項目以外にも気になる点は多々あります。例えばジャイアンスネ夫が彼らの時代に帰り、ともチョコの効果が切れた途端にゴルがトップに喰いかかったらめちゃめちゃいやだな、とか。キューとミューが鳥類の子孫である可能性が判明し、2羽の小鳥が屋根で囀る最後のシーンを経て、2羽の小鳥が舞い飛ぶクレジットを観た後。思い返すと、キューとミューの誕生シーンに一瞬差し挟まれた、ママが「あら、双子」というセリフと2個の黄身を炙るフライパンのアップのシーン、あれはかなりエグいものだな、とか。

ジャイアンは全編通してとってもキュートでした。でもスネ夫に暴力を振るうシーンは普通に最悪でした。駄目だろ。

 

ともかく、かなり良い映画体験でした。子ども向けの映画だからとビビらずに映画館に足を運んで良かった。きっとテレビやパソコンやタブレットの小さい画面で観るよりも、大きなスクリーンで観たほうが良いと思います。

次回作も観に行っちゃおうかな。